あまりにも悲しい出来事。
死者1万5854人、行方不明者3167人(9日現在)を出した東日本大震災より明日で1年を迎えます。謹んで哀悼の意をささげます。
家族も、大切な人も、家も、仕事も、学校もすべてを失いつつも、懸命に周りの人々を励まし続け「がんばろう!石巻」の看板を作られた石黒さんは私と同年代。この看板を見られて再び立ち上がられた方も少なくないと伺いました。まさに必死の一人が多くの人を救うんだと実感します。
1年前のあの日、私は生活介護事業所にいました。大きな揺れと聞いたことのないサイレンの音。速やかに利用者と職員の安全確保をしながら、事業所の庭に避難させました。幸い誰もけがはなく、建物もびくともしていませんでした。気になるのは、羽田空港に日帰り旅行にいった6名の安否です。電話は通じず、メールがなんとかつながる状態でした。メールの行き違いがあるため、なんどかやり取りしている間に、文末に時間を入れるように指示しました。これで6人の安否とその家族の安否が確認できました。
利用者家族の安否確認は電話がつながらない以上確認のしようがありませんでした。送迎で全員を自宅に送り確認するものの帰宅困難になると予想される家族の方がいらっしゃいました。
余震におびえつつも備蓄していた食料をすぐに出し、利用者の不安を甘いもので払拭させました。
羽田に行っていた6人が夜8時頃帰ってきました。予想より早い到着で無事でなによりでした。さまざまな知恵を使いながら困難を乗り越えてきてくれました。
夜9時に最後の利用者を自宅に送り、夜11時に電車通勤の職員を自宅に送って3月11日は終わりました。
ガソリンパニックが予想されるため、翌日は早くから5台の車両の給油をしようとしていました。時間とともにガソリンスタンドが混みはじめました。3台給油してあとはあきらめました。
被災地では、車の中ですごす障害者児が多かったと聞きます。社会の無理解に忸怩たる思いをされたかと存じます。
地震発生時、特別支援学校に通っている人はほとんどの方がバスの中だったのでしょうか。
自宅にはもう着いていたでしょうか。あの状況がフラッシュバックすると辛くなりますね。
「心の復興」ということでしょうか。あれ以来「絆」という言葉があふれました。
「絆」をどう結び、強めていくのか。
自分のことだけを考える人間じゃなくて、人のことを考え、自らが手を差し出し、目の前の人の手を握ることができる人材を育てることだと結論しています。
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Gracia Elbert (木曜日, 02 2月 2017 22:00)
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